2024.03.29
地域コミュニティ交通「とみおかーと」の挑戦
横浜市金沢区の富岡地区には、緑豊かで閑静な住宅街が広がっています。このエリアは高台にあるため見晴らしがよく、開放感を味わえるのが魅力のひとつでである一方で、ある問題を抱えていました。それは急な坂道があちこちにあること。中には、あまりのキツさから「地獄坂」と呼ばれる坂道もあるほどです。
急すぎる坂道は、お年寄りや妊婦さん、子育て世代にとっても大きな負担となっています。せっかく都心や横浜の中心部へのアクセスがよいのに、最寄駅やバス停への行き来に不便を感じることが長年の課題となっていました。
この課題の解決を目指して、2018年から2023年にかけて産官学連携で行われたのが、地域交通「とみおかーと」の実証実験です。「とみおかーと」の挑戦から明らかになった地域交通の理想的な形とはどのようなものなのでしょう。
緑豊かで閑静な住宅街の激坂
横浜市金沢区の富岡地区は1950年代から分譲が始まった住宅街で、公園や各種施設なども充実している成熟したまちです。ただ、長年住み続けてきた人たちを悩ませていたのが、エリア内に散在する急勾配の坂や狭隘な道路でした。
お年寄りが日々の買い物や通院などのために徒歩でこの坂を上り下りするのは一苦労です。また、子育て世代にとっても、子どもを連れてベビーカーや自転車で移動するのが大変なことは、想像に難くないでしょう。
さらには自家用車同士がすれ違うのも難しいような狭い道も多いため、既存の路線バスではエリア内の交通をカバーできず、富岡地区では長年の課題となっていました。
このままでは、地域の人たちが年を重ねても安心して住み続けられません。加えて、新たな住民を呼び込むことも難しくなり、まちの高齢化が加速してしまうのではないか。そんな危機感をつのらせた横浜市は、地域の交通事業者である京急電鉄と、地元にある横浜国立大学とタッグを組み、富岡地区の交通の問題に取り組むことになりました。
産官学連携で繰り返した試行錯誤
まず、2018年に富岡地区の中でも既存の公共交通がカバーしきれていない富岡第一地区・富岡第三地区で、それぞれ10日間の実験が行われました。
この段階でのねらいは、既存の公共交通の機能を補うサービスとしての検証と、グリスロの安全性や社会的受容性を確かめることです。
グリスロを使用し、既存交通が届きにくいエリアでの実験を行いました。定員3名の乗合型で運賃は無料。事前に決められたルート上を運行する「路線定期運行」という形でのスタートです。
2019年には、グリスロに加えて普通乗用車も導入され、乗合型で富岡第一地区と第三地区での定路線運行を行うほか、オンデマンド運行にも挑戦し、より地域に適した交通のあり方を探っていきます。
さらに、2020年からは日産自動車が参画し、利用者の意見も踏まえて運用方法を見直し、有料での実験もスタートしました。
これまでの実証実験を経て利用者から挙がってきたのは、「停留所や乗降地点を増やしてほしい」「オンデマンド運行は前日予約が必要なので、急な用事のときには使えない」といった声でした。これらの声に応える形で、運用方法をブラッシュアップしていきます。
停留所や乗降地点を増やしてほしいという声に応えるべく、路線の数を2路線から4路線に増やし、ルート上であれば、タクシーに乗るときのように手をあげて車両をとめて自由に乗ることができるようにしました。降りたい場所が近づいたら運転手に告げて、自分の降りたいところで降りることができます。
また、オンデマンド運行は前日までの予約が必要でしたが、予約を当日15分前まで受けつけることで、急な用事でも利用できるように。さらに、スマートフォンの操作に不慣れな人のために、当日60分前までは電話での予約にも対応することにしました。
有料での運用を経て見えてきた地域交通の最適解
ここまでの取り組みを踏まえて、2021年からは三井住友カード株式会社、株式会社小田原機器の協力のもと、タッチ決済の導入を試みたほか、過去4年の実験結果を踏まえてさらにルートを吟味し、事業化に向けた最終検証を行っていきます。
利用者が集中している住宅地を中心としたルートを設定し、要望が多い夕方の運行を拡大したほか、車内のスペースが広い車両を導入することで、乗降や車内での移動がしやすくなるように工夫しました。
運行は月曜、火曜、水曜、金曜の9時55分~19時30時。定路線運行のみとし、運行ルート上であれば、誰でも、どこからでも、手をあげて車両を止めて乗車し、降りたいところで降りられるという形での運用に落ち着きました。
富岡駅前の店舗(2023年からは、まちづくりの拠点である「富岡薬局前おかまちリビング」)が待合室となり、そこで乗車券の販売も行なうことに。1回の乗車料金は、大人200円、小学生100円で、定額乗車券は月額3,000円、回数券は11枚綴りで2,000円に設定されました。
とみおかーとの担当者によると、実験開始から6年目となった2023年度には、年間を通じて約6千回の乗車があったのだそう。様々な取り組みを通じて高齢者の方々に加えて、子育て世代の利用も見られるようになったといいます。
利用者からは「坂が多いため、買い物した後に荷物を持って坂を上るのは大変だったが、とみおかーとがあると非常に便利」という声が多く聞かれました。また、「運行時間が決まっているので、それに合わせて生活するようになり、かえって便利になった」という声も。オンデマンドでタクシーのような使い方をする方が便利かと思いきや、シニア世代にとっては定期路線運行をバスのように利用する方が都合がよいケースもあるようです。
持続可能な地域コミュニティ交通の運用には地域の力が不可欠
実証実験を通して最適な形が見えた一方で、これからに向けた課題もはっきりしてきました。
とみおかーとの担当者は、今後の課題として次の二つを挙げます。
ひとつは、情報の周知についてです。とみおかーとの実証実験をするにあたっては、エリア内の全戸に利用案内を郵送したほか、広報よこはまで告知をしたり、商店街や医師会など地元の団体を通して情報を発信をしてきました。また、とみおかーとの運行ルート付近のダストBOXにお知らせを掲示するなど、生活に密着した形での周知も試みてきました。
しかし、実証実験6年目になっても、とみおかーとの存在すら知らない住民がいたのも事実です。ヘビーユーザーの生活の足として非常に頼りにされた一方で、とみおかーとが地域の人たちに十分に認知されたとは言い難い状況でした。
もうひとつは、地域のステークホルダーによる支援体制についてです。地域コミュニティ交通を持続的に運用していくには、収支の健全化が欠かせません。そのためには、事業者だけが努力するだけでなく、地域の人たちの理解と協力体制が不可欠です。
今回の実証実験は、交通事業者である京急電鉄と横浜国立大学をはじめ、複数の協力企業が力を合わせて進めていきましたが、地域の人たちをダイナミックに巻き込んでいくところにまでは至りませんでした。
とみおかーとの場合、利用者からの運賃だけでは黒字運営が難しく、継続していくには地域内外のステークホルダーからの協賛金や支援金、サポーター寄付などを得ていく必要があります。地域コミュニティ交通を運用し続けていく上では、地域との協力体制をいかに築いていくかが今後の大きな課題だと担当者は振り返ります。
とはいえ、とみおかーとの実証実験が、この地域のまちづくりを進める「おかまちプロジェクト」を力強く前進させる役割を果たしたことは間違いありません。
今回、とみおかーとの実証実験と同時に進められたのが、地域の拠点づくりでした。とみおかーとの待合室となった「おかまちリビング」のように、地域の人たちの拠点となるような”目的地”があってこそ交通が必要とされます。目的地と交通が整備されることで人と人との交流が生まれ、交流はまちに活気を生み、まちそのものの魅力をアップさせることにつながります。
とみおかーとの挑戦は、富岡地区においての地域交通のあり方の最適解を探るのと同時に、これからのまちづくりの理想的な進め方の一つを示す取り組みになったといえるでしょう。